1978〜1982年まで神戸・大阪のライブハウスやラウンジ等で、
当時でいうニューミュージックや洋楽スタンダードをギター弾き語りで歌い、生計を立てていた。
この間、モンチッチ他動物ぬいぐるみ等と幼稚園やイベント会場を巡業する「歌のお兄さん」もこなす。
そんなリーシャウロンにも昔、歌の師匠がいた。
喝采、北酒場等でレコード大賞を2回受賞した大御所作曲家、中村泰士先生である。
自活のアパート暮らしということもあり、金銭的に長続きしなかったが、
師に頭を小突かれながら短期間で叩き込まれたことは、
あらゆるポップス、歌謡曲にも通用する最重要エッセンスであり、
後のリー氏の指導ノウハウ確立にも役立った。

その後、個人でレッスン開業をした。player等ロック系雑誌においての告知から始めた為、
使用していたフォーマルな貸しスタジオのロビーが、
一時金髪ロングヘアーのハードロックバンドのボーカルで溢れ、異様な光景となっていた。
必然的に日本人の平均音域を大幅に飛び越える声域を身に付けたいレッスン生が多く、
リー氏もこの点では他の指導者を越えるスペシャリストであったという。

メディアで作詞活動するようになってからは、各スクールからのオファーも受け、
自由が丘、高田馬場のスクールにボーカル・作詞の特別講師として赴いている。
他、講師の養成。演歌の個人宅出張レッスンも行ったことがある。
また、メジャーデビューするための虎の巻「完全デビューバイブル」を執筆したが、
サブカルチャー色が強く、ネームバリューも弱い為、書店出版には至らず、
個人通信販売となった。

歌を師事する最大の利点は信頼する道標を持てること。
最大の欠点は、謙虚な姿勢とは別の物理的な意味で、
自分はまだまだ、勉強が足りない、と、いつまでも思わせられることだろうか。
籠の鳥にするケースは多いが.、個人の魅力や個性を引き出し浮き立たせれば、
それがやがて欠点をも凌駕させ、次々に事も進む。が、こっちをこなす指導者のほうが少ない。
決め込み、修正、まとめで臨んだほうが、教え教わりの感覚を持ちやすいからだ。悪いことでもない。
が、自分の行動範囲から羽ばたかせ、多くの人に会う機会を与え、
無限の可能性を与える勇気を持つことが、レベルの高い指導ではないかと考える。

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